なんでかというと

本を読んだり、何かしたくなったり、いい曲聞いたりしたとき、感じたことを忘れないようにするためにはじめる。

 

詳しい人あるいは愛がある人が、事物について狂ったように語った文章が好きだ。

Twitterも盛んになってはきたけれど、あまりにも文字数が足らない。遡れない。延々に読めない。最近は、キュレーションされたものを簡単に収集できる。が狂気が足りない。商業的なかをりがする。

長文は失礼ではない。愛である。

有象無象のサイトから、ファンサイトを引き当てたときの喜びは、新しい作家を発掘したときに近しい。いままで楽しませてくれた、もう検索で探せないサイト主さんありがとう。

 

願わくば私も誰かの目を喜ばすことができるといい。